私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

ヨルダンの苦悩

日本のマスコミには邦人のことしか念頭にないようで、今回の事の本質を理解しているところはなさそうだ。
 
ヨルダンが一番苦慮していることは、国内世論なのである。
 
捕獲されたパイロットはすでにこの世にいないという事実をヨルダン政府は知っているのであろう。
 
ここ数日間、ヨルダン政府が八方手を尽くして入手したかったのはその殺害に関する映像や画像。
 
ところが今回、敵の情報統制は結構きつく、どうしても入手できない。そこが悩みどころなのだ。
 
画像でも動画でも入手できれば、真実をありのまま公表しても国内世論に動揺は走らない。
しかし、それが入手できていない今、真実を公表したところで、ヨルダン国民は誰も信じない。
 
もしもリシャウィ死刑囚を釈放しなければ、テロリストたちはパイロットを殺害した当時の映像を流して、ヨルダン政府が釈放を拒んだから先刻殺害したのだと非難するだろうし、釈放したとしても、難癖をつけて結局は同じ映像を流し、パイロットはヨルダン政府の対応が悪かったから先刻殺害したと発表するだろう。
 
まるで雪隠詰め。
ヨルダン政府の苦悩はそこにある。
どちらに転んでも反政府の側に利する結果となってしまうからだ。
 
まして、同盟側は釈放はテロに屈することになると警告を発しているにもかかわらず、すでにいない人のためにその警告を無視した形にならざるを得ない状況が国内世論では形成されつつある。
 
釈放しなければ世論は反政府。
釈放という道を選ぶなら同盟国から弱腰だと非難される。
いずれにしてもパイロットは助けられない。
 
さて、ヨルダン政府はどちらを選択するか。
国民を納得させられるカードを持っているかどうか。
 
ちなみにパイロットがすでにこの世のものではないという情報は日本にも伝わっているはずである。