私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

放射性降下物

視覚的には派手だった3月12日の原子炉建屋の水素爆発。
だが、放射性物質の拡散はさほど大きなものではなかった。
原子炉格納容器が健全だったからだ。
 
本来ならこの時点で風向きなどを考慮し、避難区域を拡大させるべきだった。
重大な原子力災害が発生した場合、チェルノブイリのように風下500キロにわたって放射性降下物が降り注ぐ危険性があることは原子力関係者であれば周知の事実だ。.
 
ところが、政府は安全だと繰り返すばかりで、避難区域を10キロから20キロにしただけの相変わらずの小手先の対応でごまかした。
さらに、拡散予想システムによる予測があるにもかかわらず、それを隠蔽し続けた。(というよりはその予測を理解できなかったのかもしれないが)
 
そして、3月15日午前6時ついに重大で深刻な事故が発生した。
2号機の格納容器及び圧力容器の破損だ。
原子炉建屋の水素爆発どころではない。それの何十万倍もの放射性物質が放出され始めた。
 
直前まで制御できない状態で核反応が炉内で盛んに行われていたわけだから、通常の濃度とは比較できないほどの高濃度放射性物質が高圧力で容器内に溜まっていたのだろう。
 
それが爆発的に拡散したのだ。
現場では一時数百万倍の放射線量を記録し、東電の社長は作業員を逃がしたいと総理に5回も頼んだが無為無策の総理はただ怒鳴り散らしただけだった。
 
原子力のエキスパートが周りにいるにも関わらず、今後どんな深刻な事態が発生するかも尋ねもせず自らのパフォーマンスにこだわり、ただただ自分の会見をしたいためだけに容器破損の事実の公表が5時間も遅らされた。
 
本来であれば容器破損があったら即時に、飯舘村はじめ風下の自治体への避難を指示すべきところであるのは誰の目から見ても明らかだ。さらにその事実をうやむやにするためその後もすぐに避難指示を出さず、IAEAからの勧告があったにもかかわらず3月31日時点でも避難の必要性を認めなかった。
 
2号機から空中に放出された放射性物質は放射性降下物として3月15日の午後5時ころから飯舘村に降り始めたのだ。
その量は通常の400-500倍。降下物なので呼吸による肺への進入は防げない。この状態が3月22日まで続いた。おそらく同地域の住民はかなりの内部被爆さらされているはずである。
この事実のどこが直ちに危険のないレベルであるのかまったく理解できない。
さらにこの放射性降下物は稲わらをはじめ広範囲に農産物の汚染を広げた。
 
問題なのは、これらの事実をわかりやすく住民に説明していないことだ。
死の灰と同じ性質のものが降ったと分かりやすく説明をしてしまうと、その理由と経緯を知った住民から、政府及び総理の責任を追及されることが間違いないからだろう。
 
再度言う、放射性降下物による被曝は政府と総理による人災である。
政府、総理は避難勧奨区域などと姑息な手立てで避難させるのではなく、遅まきながら本来は一帯は避難指示を出すべき地域であったと住民に謝罪し、今からでも避難をさせるべきだ。