私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

コミケに集る大企業様

今でこそ、サブカルチャーだ何だともてはやされているコミックマーケット
一昔前には「興味がある」といった私に大企業の社員達は全員白い目を向けた。アンダーカルチャーだとも言った。
そんな女子供相手の商売考えて、どの面下げて大の大人といえるかと。

そもそも、私はあちらの世界にどっぷりの青春。
今でこそ死語になったが、「おたく」という呼びかけは私の中学時代に私たちあちらの世界の人間たちが用い始めたものだった。
かれこれ三十数年前のこと。
無知な知人がいると「おたく、何も知らないのに口出ししないでもらえる?」
というように使った。
世はマイコン黎明期。8ビット機を持っている友人はヒーローだった。

後には、宅八郎氏が世に出て、森高千里に嫌われてたのが懐かしい。
さらにオタク文化と呼ばれて小ばかにされたのはその10年後。
地下にあった文化が表に出たのはさらに10年後。コミケが始まってから数十年も後の事。

それでも、コスファンやアニオタは日陰の存在でカミングアウトできるようになったのはほんのここ10年のことである。
小ばかにされようとも、無視されようとも脈々と生命をつなげてきた文化が社会認知されるようになったことはある意味嬉しいし、しかし逆の意味で悲しくもある。

なぜなら、平準化してしまう、いやさせられてしまうからだ。
過激、エログロなんでもありの自由奔放さから大企業資本が手を突っ込んだ文化になるとどうしても「道徳トクトク倫理リンリン」ということになり、文化に自由さや寛容さがなくなってゆくものなのだ。
そんな、お仕着せのものが文化であると私は認知しない。

コミケに大企業のブースが増えてきているそうだ。
文化外だと鼻でせせら笑ったDNAの末裔がである。
官公庁も企業もやれ文化活動だメセナだなんだと五月蝿いが、そんなものは文化であるはずがない。

ただのルールとルーチンだ。
やつらに文化など作れるはずもない。
文化の醸造には時間が掛かるものなのだ。だからこそ、そうして始めて芳醇な花を開く。
まして官製文化などありえない。

集る蝿たちには猛省を促したい。