私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

日本人

ある方のブログを読んでいて、以前から思っていることだが未だに歯がゆく思う事がある。それは、日本民族の根底に横たわる見識の甘さだ。
顕著に表す例として、太平洋戦争がある。
軍部、政府はとにかく前線を前に進めさえすれば優位になると考えていた。

それはとんでもない過ちで国力を疲弊させた主因。
前線を本土から2倍に延ばせば、守備をしなくてはならない前線の長さは2倍になる。それにもまして守らなくてはならない面積は4倍になる。
空域も含めて考えればさらにその何倍かだ。

そんな財力、兵力、日本のどこにあった?

平方、立方すら分からなかったはずは無い。
ただ、それまでが勝利続きで思い上がっていたのだ。
日露も日清も偶然たまたま勝てただけだったということさえ思い出せないほどに日本人は舞い上がっていた。

大東亜共栄圏の確立というスローガンの下、一億国民火の玉、その上、指導者は大間抜け。
例を挙げればイギリスをアジアから排除するという名目でビルマに侵攻させた兵隊には糧食代わりに、なんと家畜を引かせて進軍させた。
かの貧しさで有名な中国人民軍でさえ考え付かなかったこの作戦名は「ジンギスカン作戦」。
「とある人」がこの作戦を発表したときは周りから賞賛しきりだったそうだ。

たとえ少数派がこの無謀さを説いても、大多数の国民や政治家が世論の主である限り良識は誰の耳にも届かなかったであろう。
牛豚を連れて、富士山よりも高い山脈を越えられるはずも無く案の定、賛美どころか世界歴史上で最も酸鼻を極める悲惨な結果に終わった。
その、「とある人」は作戦の失敗は部下の所為だと死ぬまで嘯いていたという。

もうひとつは、ポートモレスビー作戦。
ほとんど地形の分からなかった島の北側から南側にあるポートモレスビーという連合軍の基地を奇襲するという作戦。
日本軍は薩長時代から伝統的に奇襲が好きだからこの作戦も「まことに素晴らしいアイデア」であると兵力の大量動員を許された。

結果、海側から見ればほんの小さな島だが、その実、中央には4000メートルを越える山が背骨のように走っており、越えることさえ一苦労。越えたとしても迎撃され、再度急峻な山脈を越えて逃げおおせるはずも無く、投入したほとんどの兵力を失った。

現在、ほとんどの国民は、このときとまったく同じ心理状態であると言っても過言ではない。何か、とてつもなく奇想天外な打開策を耳打ちされるとそれが、ものすごく素晴らしいアイデアのように感じてもろ手を挙げて協賛する。

超えられない山脈があたかも存在しないかの様に振舞う間抜けぶりは相変わらず。

衆愚軍事、衆愚政治、日本のお家芸であるが、いつになったら止むのだろう?、いや、止むことはこの先未来永劫ありえないのではないかと考える今日この頃である。