私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

墓参考

彼岸に墓参など若いころには考えたこともありませんでした。
年をとるにしたがって、自分も間近だと感じるようになるのでしょうか。なんだか気になり始めます。

最近は歴女などという分類もあるので、若いころから著名人の掃苔に出向く人たちも多いようですが、それは例外でしょうね。

「人は土くれから生まれて土くれに還る」私の知るかぎりどんな宗教でも宗派でも否定しているものはないという絶対的な真理です。

寺の和尚さんと会ったとき土饅頭に話が及びました。
昔は寝棺でも座棺でも埋葬したあとにその上に土をこんもりと盛り上げ、それが土饅頭と呼ばれていたそうです。
二年もすれば、お棺が朽ち、穴が開いて上の土が「ドン」と落ちる。それで平らになるので、その上に墓石を載せる。遺骸は徐々に土に還る。
埋葬とはそういう物だったそうです。

お墓にも時代が現れてます。
江戸時代やそれ以前のお墓はシンプルに仏法の名前が刻まれているものが多く、明治維新以降は墓石に銘が彫られているものが多いです。
青山墓地に行くと、あちこちに天にそびえるような巨石のお墓が立っており、その人の出自や功績などが、いかめしい漢文調で綴られています。

ちなみに青山墓地は元々、郡上藩の青山さんの下屋敷があった場所で、会津藩士の方が近接の場所に神葬式墓地を開いたことが起こりだといわれています。明治以降のお墓なのですね。神葬式なのは、会津松平氏が埋葬を神式で行うように藩士に求めたからです。

よって、青山墓地には会津藩にゆかりに深い方々や、会津藩士が多かった警察関連の方々が西南戦争でなくなったとき、まとまって葬られた警察墓地もあります。
手元にある青山霊園のパンフレットに載っている方々は大半が官軍の方ですが、実は幕府軍の方々のお墓も多いんですよ。

火葬が一般的になった時代からは、お墓は一人ひとりのものではなくなり、家族が何人も同じお墓に入るようになりましたので、故人の名前は墓石の表にではなく、横や後ろにまとめて刻まれるようになりました。
また、家紋が彫られるようになったのはこのころからだろうと思います。

それでも、遺骨は墓石下の土の上にまいたので、中に入っている骨壷は空っぽでした。現代は、お骨さえ土に還れません。骨壷にずっと入ったままです。
最近はマンションみたいなお墓もあります。
これではどう逆立ちしても土には還れません。

お墓というのは、生き残っている人たちのためのものなのだな、とつくづく感じます。