私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

大学

国家天下を論ずる前に自らを律するべしとあらためて肝に銘じました。
 
大学の道は明徳を明らかにするに在り。民に親しむにあり、至善に止まるにあり。止まることを知りて而る后に定まることあり。定まりて而る后に能く静かなり。静かにして而る后に能く安し。安くして而る后に能く慮る。慮りて而る后に能く得。物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知れば則ち道に近し。古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉う。其の家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しくする。其の心を正しくせんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは物に格るに在り。物格りて而る后に知至る。知至りて而る后に意誠なり。意誠にして而る后に心正し。心正しくして而る后に身修まる。身修まりて而る后に家斉う。家斉いて而る后に国治まる。国治まりて而る后に天下平らかなり。天子より以て庶人に至るまで壱是に皆身を修むるを以て本となす。其の本乱れて末治まる者は否らじ。其の厚くする所の者を薄くして、其の薄くする者を厚くするは未だこれあらざるなり。此れを本を知ると謂う。此れを知の至れりと謂うなり。所謂其の意を誠にするとは、自ら欺くこと毋きなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如し。此れを之れ自謙と謂う。故に君子は必ず其の独を慎むなり。小人間居して不善を為す。至らざる所なし。君子を見て、而る后に厭然として其の不善を揜いて、其の善を著わす。人の己を視ること、其の肺肝を見るが如く然れば、則ち何の益かあらん。此れを中に誠なれば外に形わると謂う。故に君子は必ず其の独を慎むなり。曾子曰く、十目の視る所、十手の指す所、其れ厳なるか。富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広く、体胖かなればなり。故に君子は必ず其の意を誠にす。詩に云く、彼の淇澳を瞻れば、菉竹猗猗たり。斐たる君子あり、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し。瑟たり僴たり、赫たり喧たり。斐たる君子あり、終に諠るべからず。切するが如く磋するが如しとは、学を道うなり。琢するが如く磨するが如しとは、自ら修むるなり。瑟たり僴たりとは恂慄なり。赫たり喧たりとは威儀なり。斐たる君子あり、終に誼るべからずとは、盛徳至善、民の忘るる能わらざるを道うなり。詩に云く、於戲前王忘れられず。君子は其の賢を賢として、其の親を親とす。小人は其の楽しみを楽しみて、其の利を利とす。此を以て世を没するまで忘れられざるなり。康誥に曰く、克く徳を明らかにすと。太甲に曰く、諟の天の明命を顧みると。帝典に曰く、克く峻徳を明らかにすと。皆自ら明らかにするなり。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たにして、日日に新たにして、又日に新たなり。康誥に曰く、民を作新すと。詩に曰く、周は旧邦なりと雖も、其の命維れ新たなり。是の故に君子は其の極を用いざる所なし。詩に云く、邦幾千里、惟民の止まる所と。詩に云く、緡蛮たる黄鳥、丘隅に止まると。子曰く、止まるに於いて、其の止まる所を知る。人を以て鳥に如かざる可けんやと。詩に云く、穆穆たる文王、於緝煕にして敬して止まると。人君と為りては仁に止まり、人臣と為りては敬に止まり、人の子と為りては孝に止まり人の父と為りては慈に止まり、国人と交りては信に止まる。子曰く、訴えを聴くこと吾猶人のごとし。必ずや訴なからしめんかと。情なき者は其の辞を盡すことを得ず。大いに民の志を畏れしむ。此れを本を知ると謂う。所謂身を修むるに其の心を正しくするに在りとは、身忿懥する所あれば、則ちその正を得ず。恐懼する所あれば、則ち其の正を得ず。好楽する所あれば、則ち其の正を得ず。憂患する所あれば、則ち其の正を得ず。心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食いて其の味わいを知らず。此れを身に修むるに、其の心を正しくするに在りと謂う。所謂其の家を斉うるに其の身を修むるに在りとは、人其の親愛する所に之て辟す。其の賤悪する所に之て辟す。其の畏敬する所に之て辟す。其の哀矜する所に之て辟す。其の敖惰する所の之て辟す。故に好みにて其の悪を知り、悪みて其の美を知る者は天下に鮮し。故に諺に之れあり、曰く、人其の子の悪を知ること莫く、其の苗の碩なるを知ること莫しと。此れを身修まらずして以て其の家を斉うべからずと謂う。所謂国を治むるに、必ず先づ其の家を斉うとは、其の家教うべからずして、能く人を教ううる者は之れ無し。故に君子は家を出でずして教えを国に成す。孝は君に事うる所以なり。弟は長に事うる所以なり。慈は衆を使う所以なり。康誥に曰く、赤子を保んずるが如く。心誠に之れを求むれば、中らずと雖遠からず。未だ子を養うことを学びて、而る后に嫁する者はあらざるなり。一家仁なれば、一国仁に興り、一家譲なれば、一国譲に興る。一人貪戻なれば、一国乱を作す。其の機此の如し。此れを一言事を憤り、一人国を定むと謂う。堯舜は天下を率いるに仁を以てして、民之れに従い、桀紂は天下を率いるに暴を以てして、民之れに従う。其の令する所、其の好む所に反して、民従わず。是の故に君子は諸を己に有して、而る后に諸を人に求め、諸を己に無くして、而る后に諸を人に非る。身に蔵する所恕ならずして、能く諸を人に喩す者は、未だ之れあらざるなり。故に国を治むるは、其の家を斉うるに在り。詩に曰く、桃の夭夭たる、其の葉蓁蓁たり。之の子干に帰ぐ。其の家人に宜しくして、而る后に以て国人を教うべし。詩に云く、兄に宜しく弟に宜し。兄に宜しく弟に宜しくして、而る后に以て国人を教うべし。詩に云く、其の儀忒わず、是の四国を正すと。其の父子兄弟となりて法るに足りて、而る后に民之れに法るなり。此れを国を治むるに、其の家を斉うに在りと謂う。所謂天下を平らかにするに其の国を治むるに在りとは、上,老を老として民孝に興り、上、長を長として民弟に興り、上、弧を恤みて、民倍かず。是に以て君子に潔矩の道あり。上に悪む所以て下を使うこと毋れ。下に悪む所以て上に事うること毋れ。前に悪む所以て後に先んずること毋れ。後に悪む所以て前に従うこと毋れ。右に悪む所以て左に交わること毋れ。左に悪む所以て右に交わること毋れ。此れを之れ潔矩の道と謂う。詩に云く、楽しき君子は民の父母なりと。民の好む所は之れを好み、民の悪む所は之れを悪む。此を之れ民の父母と謂う。詩に云く、節たる彼の南山、維れ石巌巌たり。赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る。国を有する者は以て慎まざるべからず。辟すれば則ち天下の僇となる。詩に云く、殷の未だ師を喪ぼさざるや。克く上帝に配す。儀しく殷に監みるべし。峻命易からず。衆を得れば則ち国を得、衆を失えば則ち国を失うを道う。是の故に君子は先づ徳を慎む。徳有れば此に人あり。人有れば此に土有り。土有れば此に財あり。財有れば此に用有り。徳は本なり。財は末なり。本を外にして末を内にすれば、民を争わしめて奪うことを施す。是の故に財聚まれば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言悖つて出づる者は、亦悖つて入り、貨悖つて入る者は、亦悖つて出づ。康誥に曰く、惟れ命常に干てせず。善なれば則ち之れを得、不善なれば則ち之れを失うを道う。楚書に曰く、楚国は以て宝と為す無し。惟善のみ以て宝と為す。舅犯に曰く、亡人は以て宝と為す無し。仁親以て宝と為す。秦誓に曰く、若し一个の臣あらんに、断断として他の技なく、其の心休休焉たり、其の容るるところあるが如し。人の彦聖なるや、其の心之れを好む。啻に其の口より出づるが若くのみならず、寔に能く之れを容る。以て能く我が子孫黎民を保んず。尚亦利あらんかな。人の技ある、媢疾以て之れを悪み、人の彦聖なるや之れに違い通ぜらしむ。寔に容るること能わず。以て我が子孫黎民を保んずること能わず。亦殆いかな。唯仁人のみ之れを放流し、諸を四夷に迸け、与に中国を同じうせず。此れを唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むことを為すと謂う。賢を見て拳ぐること能わず、拳げて先んずること能わざるは命なり。不善を見て退くること能わず、退けて遠ざくること能わざるは過なり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪むは、是人の性に拂る。菑必ず其の身に逮ばん。是の故に君子に大道あり。必ず忠信以て之れを得、驕泰以て之れを失う。財を生ずるに大道あり。之れを生ずる者衆く、之れを食う者寡ければ、之れを為むる者疾く、之れを用うる者舒なれば、則ち財恒に足らん。仁者は財を以て身を発し、不仁者は身を以て財を発す。未だ上仁を好みて、下義を好まざる者あらざるなり。未だ義を好みて、其の事終らざる者はあらざるなり。未だ府庫の財に非ざる者はあらざるなり。孟献子曰く、馬乗を畜うものは鶏豚を察せず。伐冰の家は牛羊を畜わず。百乗の聚斂の臣を畜わず。其の聚斂の臣あらんよりは、寧ろ盗臣あれ。此れを国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂うなり。国家に長として財用を務むる者は、必ず小人による。彼之れを善と為す。小人をして国家を為めしむれば、菑害並び至らん。善者ありと雖も、亦之れを如何ともすること無し。此れを国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂うなり。