国債
私も含め、日本人は借金と言うものに後ろめたい感覚を持っている人が多いと思う。
ただし、お金を盗むならともかく、借りるということは正当な経済活動である。
どうしても必要なら借りなくてはならないし、利息を契約どおりに払っていれば、借り続けていてもまったく問題はない。
問題は、お金を貸してくれる人がいなくなることだ。
返してもらえることが確実なら貸してくれる人がなくなることはない。
どうしたら返せると相手に信じてもらえるか。
それは、将来これこれの成長が望めて収入が増えるから返すことができるということを相手に納得してもらうことだ。
客観的にその説明が合理的なら借金の障害はない。
逆に借金の返済が主眼となって増収という選択肢を捨てるならば、お金を貸す側も不安になる。先細りで返してもらえない可能性があるからだ。
現政権の国債発行はこのときとも違う。
ある意味やむをえない選択だったと思う。
格付け会社も格下げを猶予するなど、世間が騒ぐほど市場というのは馬鹿ではない。現実的なのだ。
実際問題として今後も借入残高が減ることはないだろう。
問題はその後にある。
成長戦略がまったく見えない予算配分。経済政策とはいえないばら撒き。
だれがそれをみて収入が増えると確信できるのか。
今回の格下げの影響は限定的であろう。
内国債中心の日本では、それほど利率が上下することはないはずだ。
ただ、この状態が長く続いてよいとは思えない。
まずは、成長戦略の重点をどこに置くのかを定めて、そこに資金資本を集中投下する。
経済活動の活性化を図り、税収の増加を図る。
基幹税を上げて経済失速をさせるべき時期ではない。
今の状況は、税収を国債発行が上回った戦後の厳しい時期によく似ている。
そのときは重厚長大産業に集中投下し、経済成長による税収の増加を図った。
さて、今はどの分野であろう。
そのことを考えるきっかけとして、大震災、原発事故が大きな判断材料となるだろう。
民主政権もあと一年ある。
それが、日本の再生と復興の礎となるならば。