私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

感受性

 
 
 
大した文章も書けない自分が言うのもお門違いかもしれないが、昨今言語に対する感受性の低い方を多々見受ける。
 
たとえば、「習慣だ」や「仕来たりだ」、「ルールだ」という言葉について、三つともほとんど同じ意味で、適当に使い分けているだけだと思っていらっしゃるマスコミ関係の方も多い。
 
朝起きて「おはよう」と挨拶するのは習わしです。
朝起きて「おはよう」と挨拶するのは仕来たりです。
朝起きて「おはよう」と挨拶するのはルールです。
 
明らかに、私にとってはこの三つの意味は違うのである。
同じと思う人とはおそらく永遠に話が合わないだろうと思う。
 
ちなみに伝染病のように広まっていた原発推進派の動員メールはどのような意識の下で送信されていたのか。
 
シンポジウムがあるときには動員メールを送るのが習わしです。
シンポジウムがあるときには動員メールを送るのが仕来たりです。
シンポジウムがあるときには動員メールを送るのがルールです。
 
ぜひ、ご本人たちに聞いてみたい問題である。
 
さらに慇懃無礼な北電の社長、「何事も他人事」の北海道知事は別の意味で感受性に問題があると思う。
この時期、念には念を入れて調べなくてはならないやらせ問題なはずなのに、大して調べもせず傲岸不遜に「なかった」発言をして、翌日にはそれを撤回する。
昨今はリーダにも感受性が求められているのである。あまりにもお粗末な対応だと言わざるを得ない。
 
なお、「おはよう」は本来、上の三つであってはならない。
朝早く起きてきた事に喜びと幾許かの驚きを感じるから挨拶をするのである。
 
企業や行政府の対応も慣わしや仕来たりやルールに縛られず、利用者や住民を慮った対応をすれば少しはましになると思うのだが…。