私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

今日のテレビから

まずはNHKの災害時のビッグデータの番組。

ビッグデータが有用であることは分かっている。
だからこそ、もっと深く分析してほしい。

2011年3月11日の大地震の3日前にも東北で大きな地震があったことを覚えている人はいるだろうか。
私自身でさえ記憶に薄いが、おそらくそのとき、津波注意報が出されたのではなかろうか。そして結局、津波は来なかった。

そのことが、3月11日の悲劇を拡大した可能性があることをビッグデータなら検証できるかもしれない。
気象庁」はご存知のとおり事なかれ主義のお役所であるから自らの保身のため僅かでも可能性があると注意報や警報を出す。はっきり言って乱発といっても過言ではない。

その事に国民が慣れさせられてしまっていたことが見過ごされているように思えてならない。3月11日当日も、「警報またかぁ」と思った人がまったくいなかっただろうか。「オオカミが来るぞ」と毎回騒ぎすぎていたため、本当にオオカミが来たときにも誰にも顧みられなかった少年と気象庁は同じではないのか。
反省すべきは気象庁にもある。

二つ目は北海道の遭難の話

遭難といっても雪山ではない。日常生活範囲での遭難の事。
痛ましい限り。
私は北海道出身で、幼少の頃には家の前300メートルで行き倒れという話が時々あった。その頃は寒冷期で雪が多かった時代だったからかもしれない。今年はそれに匹敵する、いやそれ以上だと思う。

用心するに越したことはない。
なぜなら、こういう冬を送った春先には、必ずといって良いほど春雪の重みに耐えかねて大きな建物が崩落して惨事が起こっている。
今年は例外とか、建物の構造が変わっているからなどと言っていると、また「これは想定外でした」という事態が起こりかねない。

いつも思うのだが、そこまで報道してこそジャーナリズムではないのか?
単に不安をあおるだけだけではなく、この先何が人々にとって必要な用心かを伝えてこそ、ジャーナリズムの存在価値があると思う。