我が子を売らねば明日の生活も成り立たぬ親の悲しみ
わが国でも、そう遠くない昔にあったこと。
いや、おそらく近代化した国なら必ず通ってきたであろう道。
親が子を売らねば一家の生活が成り立たないという悲しい事情。
日本では、飢饉のたびに起こっていた。
特に東北農村部は度々冷害が起こり、子供を泣く泣く手放す親が多かったという。
子の行く末は知ってはいても、親はそれさえも目をつぶらなければ生きられない環境。
システム的には、都会から来た仲介者が子供を高く買い取るということを村落の有力者に伝え、それが口伝で農民に伝わってゆく。仲介者が村落に滞在する期限は限られているので躊躇している暇はない。今、子供を差し出さなければ、早晩、一族郎党飢え死にもしくは逃散ということになってしまう。
やがて村の有力者に付き添われた仲介人がやってきて、品定めをする。合格であれば、金銭の対価を得る。村の有力者も何とかその一家が立ち行くように推薦の言葉を添える。
可哀想なのは売られる子らである。親たちの思惑も知らず、ただ「良いところにいけるから」という嘘をいい含められるだけの最後の日を過ごし、翌日は仲介者に連れられて村を離れる。
別れに子が泣こうと叫ぼうと、親はなだめるだけで、引き止めることはしない。なぜなら、この売買契約が成立しないと、一家全員、死が待っているからだ。
なんと、悲しき貨幣経済。
なんと、悲しき貧農事情。
朝鮮でも同様であっただろう。
貧しい農村では食べ物を得るため、自らの子を売った親がたくさんいる。それが、昭和20年代にも起こっていたということ。
仲介者も村の有力者も親も、皆朝鮮人。
もし日本人仲介者が日本語で話をしても、誰も首を縦に振らなかっただろう。意味さえ分からなかったかもしれない。
昔の日本の場合、少女らは都会の遊郭などに売られた。
要は、朝鮮人が同じ民族の少女を使って金儲けをしただけに過ぎないこと。それを国際問題とすりかえるのは甚だ強引過ぎる。
考えても見て欲しい。
ある日自分の村に、言葉も通じない外国人が来て、自分の子供を連れ去ろうとしたならどういうことが起こるか。
そんな人間に自分の子を差し出す親はいない。
信頼できると思われる、同じ民族、同じ言葉を話す仲介者だからこそ、一縷の望みをもって預けたのだ。