Twitter貧乏、Twitter長者
最近本当に多い電車への接触事故。
動き始めた電車によろけて接触してしまうというもの。
そのほとんどが、スマートフォン関連。
「画面に見入っていたら、よろけてしまった」
「手元の操作に気を取られて、前にいる人に気づかずぶつかった」
など、あまりにも多い不注意事故にうんざり。
電車は遅れるし、その後の電車は混むし、良いことがひとつもありません。
彼ら彼女らの見ているのはほとんどがTwitter。
興味のない人間から見れば、ただの落書きなんですけどね。
ある意味、一時問題になったコンプガチャと同じ習慣性があるのかもしれません。
ネット依存症というより、Twitter依存症でしょうか。
片時も離れることができません。
一日24時間のうち、どれだけTwitterに時間を裂いているのでしょうか。
将来のために自分自身を磨くための時間を持たなくてはならない若い時期なのに、他人のつまらない繰言に付き合う。そうして、貴重な時間や人生を無駄に費やす。
まあ、人生とは元来無駄なものかも知れません。
「人間ただのくそ袋」という意見もあります。
それはそれとして、20年後には差がついているでしょうね。
何がって?
給与面や待遇面で。
基礎知識や常識を仕入れておかなければならない大事な時期に、他人のつぶやきやぼやきしか頭に入っていない人と、その一方ではそんなものに目をくれないで日夜自己研鑽に奮闘努力している人。
どのくらいの差が出るでしょうか。
年収にして、300万程度は出るでしょう。
10年で3000万、20年で6000万。
育った環境の貴賎でその子孫の格差が発生した昔とは違うのです。
当人が能動的に、貧しくなるべくして選んだ結果で格差が生じる、今までになかった現象だと感じております。
Twitterで長者になる道はないと思います。
やればやるほど、将来の収入は減ると思いますよ。
わかりきっているにもかかわらず、どうしてもやめられないのが庶民なんでしょうね。
だから人間というものは…