私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

黄金週間旅行記(十四)

午前6時、予定通りに新潟港に着きました。
 
往きは真夜中だったので見えなかったフェリーターミナル全容。
実はこんな感じだったのですね。フェリーの煙突が見えます。
 
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ここから6時30分のバスに乗って新潟駅へ。
朝の7時に駅前に下りても店も開いていません。
と言うことで、駅前の24時間ファミレスで目玉焼き朝食。
 
帰路は会津若松経由でお墓参りをして帰ることにします。
8時25分発。快速あがの。磐越西線経由。
この汽車です。
 
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快速ですが、表示は「普通」?
確かに車内は整理券方式の列車の流用です。
 
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ご存知でしょうか。
会津に発した河川は太平洋ではなく日本海に注ぐということ。
若松を流れる阿賀川は新潟で日本海に出ます。
今では水量の少なくなった信濃川より川幅が広いです。
 
歴史的に会津と新潟は深い関わり。
南魚沼郡も幕末までは会津です。
 
さておき、ディーゼル車はしばらく越後平野を走り、まもなく山間部へ。磐越西線です。
 
登りなので、エンジン音が声高。
この線はSLばんえつ号で有名ですよね。一時間待てばSLに乗れたのですが、若松までの時間がかかりすぎるのでこのディーゼル車にしました。
 
列車は阿賀野川に沿って走ります。
すばらしい景観。写真は載せません。
是非自らの目で確かめてください。
 
渓谷あり、桜あり。トンネルあり。
三川、津川のあたり。線路に覆いかぶさる岩山。
片側は阿賀野川に切り落とされた崖。
 
津川も幕末までは会津でした。今は新潟県
私の先祖も津川の役所にいたことがあります。
 
渓谷列車は2時間半後、若松に着きました。
残念なことに先日の大雨で磐越西線が不通になっているそうです。
一日も早い復旧をお祈りいたします。
 
若松に到着。連休中の一泊を何とか確保できたグリーンホテル会津まで歩いて5泊分の重たい荷物を預け、さあ、お墓参りです!
しかし若松は暑い。札幌とは大違い。
 
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若松市内のバスは比較的使い易いですが、やはり利用者の減少は他の地方都市と同じなのでしょう。
乗客はほとんどいません。
 
「青木」という停留所で降ります。
今風の霊園と違い、昔の山のお墓には水場などありません。
麓から持って登ってゆくのです。
 
ちなみに、先祖は北海道の余市に渡った関係で、神道に改宗しました。
なのでバス停近くの「ヨーク」で水、榊、お神酒、その他を仕入れて、いざ山墓へ。
 
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見えますでしょうか、最上部にある二棟の市営住宅。その左側が当家の古いお墓です。山の上まで全体が会津藩士の墓所。名は大窪山。
2年ぶりの墓参です。
それにしても上りはいつも大変です。今日は暑いし。
青木団地の最上部に住む人たちは、毎日坂の上り下り大変ですね。
 
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元々、当家歴代のお墓は麓の西龍寺にあったとの記録ですが、現在はお寺自体が無くなっていてドラッグストアになってます(爆)
大窪山のお墓は比較的新しいご先祖様です。
 
戊辰後、会津のものはすべて西軍(現在の日本政府の元)のものになりました。
この墓山も現在の所有者は財務省(旧大蔵省)です。
 
そのことで逆に、お寺や私有地の中でなかったために、百数十年たった今でもお墓が残っていたという理由かもしれません。西軍に感謝!