私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

アメリカの迷走

アメリカによるたびたびの中東介入。
攻撃に成功したといっては自画自賛し、誤爆しては自己弁護に奔走。
 
古くはアフガン、イラククウェートなどに介入を重ねるがその割には戦果が上がったことが無い。
そこへ持ってきて、オバマ政権は弱腰姿勢で中途半端なものだから最近のシリア・ISIS情勢に関してはほとんど朗報を聞かない。
 
実は、アメリカ軍自身が勝利をしたのは、太平洋戦争が最後である。
あの時は日本という国体をなした敵を相手に戦ったから勝利できたのだ。
 
その勝利が強烈な成功体験となり、逆に足かせとなっている。
それが現在も続く消毒主義。
 
太平洋戦争では次から次へと涌いてくる日本兵への対処として、元から絶つという消毒を行った。具体的には東京大空襲であり、広島長崎原爆という無差別に焼き殺すという方法である。
 
確かに日本には効いた。それは日本が成熟した国体を持っていたからであり、日本は全軍の戦闘をとめられるシステムをかろうじて保有していたからに他ならない。
 
これに味をしめ、アメリカは消毒作戦が全能であるかのような幻想に陥った。ところが、ベトナム戦争では効かなかった。アメリカ史上初めての敗北である。
 
なぜか?
それは、ベトナム軍がアメリカの考える近代的軍隊組織ではなかったからである。アメリカの考える軍隊とは上層部からの命令により枝葉の末端まで動くものであるの考えであるが、ベトナム軍はそうではなかった。
 
少人数の部隊がゲリラとなって上からの命令を意に介することなく勝手に戦闘を行うという相手とのはじめての戦いだ。
次から次と涌いて出るという意味では旧日本軍と同じであるが、戦争の仕方がまったく違う。
 
もちろん、アメリカ軍はここでも消毒作戦を実施した。
枯葉剤劣化ウラン弾クラスター爆弾など、都市部には効いた消毒作戦も広大な森林や田園に散らばる小村落にはまったく効かなかった。
 
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