私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

6月16日、17日、若松・冬坂・御霊櫃峠(4)

さて、次は御霊櫃峠です。
 
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なんだかおどろおどろしい名前の峠ですが、山つつじの名所だそうです。
残念ですが今回はすでに時季が終わっていました。
 
湖の周回道路からの入り口がなかなかわかりにくいところにあります。
上の地図では湖からはほぼ直線に見えますが、実はとんでもない九十九折。
 
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道幅も狭く一車線です。ダートがあるかと思いましたが、全線舗装道路でした。
まるで、森林のトンネル。日中にもかかわらずライト点灯しなければならないほどの暗さ。
 
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こちらも対向車に出会うこともなく、退避の必要はありませんでしたがスピードは低めで注意して登ります。
 
ついに峠の頂上です。
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そうです。ここが分水嶺奥羽山脈です。これより東側(中通側)の川は太平洋に注ぎます。同じ福島でもこれより西側(会津側)の川は日本海に注ぎます。
 
歩いて上れそうな丘がありましたのでいってみることにします。
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マムシに注意」といわれてもなぁ。
慎重に草むらに石を投げながらの登坂。
 
上からは猪苗代湖が見えます。
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なんと山深いところでしょうか。
昔の人はここを徒歩で登りました。
 
会津戦争では、郡山からここを通過して攻めてくる西軍兵もあるはずということで、人員や輜重を配備しました。が、西軍主力は伊知地案の下、もっと北の母成峠を越えました。
伝令が城下からやってきて西軍の侵入を知った部隊は輜重を隠し、急いで城下へ戻りました。
なので、周囲を探せば今でも当時の輜重の残骸が残っているかも知れません。
 
郡山側の眺めです。
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こちらもなかなかの山道です。
さて、眺望も楽しみましたのでマムシに注意して丘から下山しましょう。
車で会津側に降ります。
板垣案が採用されてたら、今の私はなかったかもしれません。
 
<続く>