私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

故郷を追われるということ(再掲)

 
 
 
根無し草のようにふらふらその日暮らしをしている私にも故郷はある。
夏になると海から海霧が壁のようになって襲ってくるような土地ではあるが。
幼い頃は悲しげな霧笛で夜中に起きることもよくあった。
もちろん、追われて出てきたわけではなく自ら都会に出てきたのだから何時だって帰ることは出来る。
 
帰郷するたび「ああ、やっぱりな」と風や土のにおいを感じ遠くに見える山々を望む。
その故郷がある日突然、外的理由で立ち入りを制限され、長期間戻れないとなったらどう感じるだろうか。想像するだけでも恐ろしい。
「喪失感」「もって行き場のない怒り」「あきらめ」「あせり」「投げやり」「寂しさ」いろんな感情が綯い交ぜとなり収拾がつかないかもしれない。
 
「念のための避難指示です」の一言であっという間に故郷を追われ、知ったかぶった政治家や学者に「念のためどころか何十年も戻れませんよ」とあたかも他人ごとのように軽く言われて。実のないイデオロジストに先導されたヒステリックな愚衆が声高に叫ぶ原発反対、原発誘致の自業自得論に後ろ指を差されて。
 
彼らは自らがその立場におかれたときのことを想像したことがあるのだろうか。故郷に戻ることが出来ないということがどういうことか考えたことがあるのだろうか。
土地は借り上げるから安心せよと?
補償を十分受けられるからいいじゃないかと?
人の気持ちというのはそんなものではない。
63年前に同じように追われた北の島々の人達が故郷の島に向かっていまだに望郷の涙を流すほど深いものなのだ。
 
行政というシステム的解決論だけでもなく補償という経済的解決論だけでもない人の気持ちを汲んだ、人間的解決法を政治に望みたい。