私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

150年の遺恨

今になっても度々メディアに取りざたされるほどの会津と長州の遺恨。
実は会津と長州は元々仲良し藩だったことは余り知られていない。
 
仲良しだった事実より、戊辰戦争で如何に長州が無体だったかの方がクローズアップされてしまってることも一因だろう。
 
実際には、会津長州藩の毛利のお姫様がお輿入れしているし、幕末になっても長州の長井雅楽が提唱した公武合体論に会津藩も積極的に賛同して推し進めようとしていた。
 
しかしながら、長州藩主の毛利氏が情勢の変化におろおろと右往左往し、挙国一致で外国へ対抗しようとした勢力から、とにかく幕府を倒すことだけを目的とした勢力へ心変わりしてしまったことから悲劇が始まる。
 
久坂玄瑞ら急進派が長井を失脚させ、尊皇攘夷に名を借りた政府転覆を目論み、元治甲子の変(蛤御門の変)へ突入。
結果、久坂は自害、長州は朝敵とされて討伐される憂き目に遭う。
その後は毛利氏のおろおろさえも可愛く思えるほどの朝廷の狼狽の責任で、幕末の大悲劇「戊辰戦争」が始まる。
 
このあたりは先日まで放送されていたドラマ「仁」でも京都の大火の様子とともに描かれているのでこれ以上は述べない。
 
要は、上に立つものの腹が据わらないと部下が動揺するばかりか、まったく関係の無い、無辜の人民や兵卒にまで被害が及ぶのであり、150年経た今でも双方に遺恨を残すほどの事件になること、それを自覚していないリーダーの如何に多いことかと嘆きたくもなるのである。
 
さて、新党大地のリーダー、方や民主最大勢力のリーダー。
両名とも腹が据わっているだろうか?
人が足りなかったらいくらでも出すといった舌の根も乾かぬうちに手を突っ込むなと言ってみたり。
報道を通じて知る限り、何とも心許ないと思うのは私だけだろうか。