私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

いざ余市へ(続)!

私のご先祖も斗南藩へ仕官しましたが結局藩が無くなり、拠る術がなくなりました。
実の兄達は東京での謹慎後、開拓使として樺太へ送られる予定でしたが
紆余曲折があり、結局北海道開拓使として小樽経由で余市に入植しました。

その開拓使が追加で15戸の入植に応じるとのことで、先発組より遅れて
兄を頼って余市へ移住することになったようです。
そして明治五年から明治十年までの間、黒川村で開墾に従事しました。
得意の槍を鋤鍬に持ち替えての農作業、私が想像できる以上の苦労が
あったに違いありません。

明治六年の余市開墾所の戸数並びに人数調べをご先祖の兄が行った報告です。

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余談ですが昔の方々は達筆ですね。

別の入植の記録には家族が四人いたとなっているものと三人となって
いるもの存在し、どちらが本当かは今となっては分かりません。
もしかすると子供がいて入植後亡くなったのかも知れないと思い調べ
ましたが結局分かりませんでした。

現在、余市の美園墓地には有志の建立した会津藩士のお墓があります。
お墓からは藩士が開墾した余市の黒川、山田が望めます。

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