私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

八重の桜をつらつらと

八重の桜、地元では盛り上がっているのでしょう。

おそらく観光客が俄かに増えてつかの間の高笑いをしている人も中にはいるかもしれません。
それはとりあえず置いておいて、会津の歴史を知れば知るほど、違和感を覚えます。

それは会津は福島だという認識。
150年さかのぼって会津の人に聞きたい。会津は福島か?と。
答えはおそらく「ノー」でしょう。

藩制のことを問うているのではありません。諸地域との関連のことです。
地勢的にも会津分水嶺より日本海側です。
交易などは福島側の諸藩より越後の方面のほうが主だったのではないでしょうか。

会津の人たちは中々本音を言いませんが、中には原発問題は福島の問題で会津も含めるのは拡大解釈過ぎるとの意見を持っている人がるのではないかとも思います。

古典を開きますと、会津から東京に出るにも京都に上るのも皆、奥羽山脈を越える道を選ばず日光へ直接向かう、もしくは日本海経由でわたるというのが一般的であったろうことからもそう考えるのが普通なような気がします。

そういう意味では分水嶺から日本海側の米沢が会津に同情的であったのは分からなくもありません。
まして、保科公が高遠から移封された最初の地は最上。

アラビアの悲劇や朝鮮南北問題ではありませんが、生活に立脚した土地分けではなく、地図だけを参考に決めた境界は色々感情論をはらみます。