私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

伊予と信州の関連

ここ二年、暇に飽かせて少しばかり歴史を探訪してきました。(若隠居の道楽か??)
調べたのは、私どもの祖先のルーツが中心でしたが、周辺情報として過去に思い浮かばなかった事柄が疑問として浮上しました。

まず一つ目が今回のテーマの伊予と信州の関係です。
信州、とりわけ高遠のお寺には伊予に出自を持つ方々のお墓が多いのではという考察。

古書を調べた限り、保科高遠は伊那衆の集まりであるという見解以外にはないようです。
しかし保科家臣に伊予に出自を持つ姓の者たちが多いのは誰も指摘していないのが不思議。
まるで歴史上から伊予と信州の関係が黙殺されたかのような感じさえ受けます。

どんな関係か。それは歴史に疎い私には分かりませんが、高遠の古刹に行くと分かります。なぜか、瀬戸内水軍であった河野の姓が彫られたお墓が多数あります。

偶然と断ずるにはあまりにも無知。なぜなら、墓石には河野家の家紋が刻まれているからです。瀬戸内の河野家の家紋は神紋風にいえば「折敷に三」寺紋風にいえば「隅切り角三」。信州の河野家、伊予の河野家も同じ紋です。
いずれにしても大三島神社の神紋が由来。

私どもは河野姓ではありませんが、折敷に三の家紋です。
遠祖は信州伊那の高遠の出自との事ですが、瀬戸内海との関連がまったく分かりません。

どういう経緯だったのか。なぜ瀬戸内海の海賊が、信州伊那の山奥に来たのか。なぞがなぞを呼んで、想像を馳せることおよそ2年です。