私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

いざ高遠へ(続)!

途中にある神社にも参拝。

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さすがに石工で有名な高遠。庚申塚甲子塚には石碑も立っております。

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風の音以外は何も聞こえない静寂の中、寺への長い参道を登って境内へ。

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そこには保科公の碑も。
樹林寺も例のごとく、明治政府の廃仏毀釈礼によって無理やり神仏が
分離させられてしまった名残が見られました。

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寺の裏には墓地があり、当家先祖の縁者が眠っているはずなのですが・・・

「これはすごい」と思わず口から漏れるほどの山墓。会津の大窪山も
すごいですが、こちら樹林寺の裏山も負けてはおりません。
汗を掻きかき途中まで、お墓を探しながら分け入りましたが、倒木が
あったりして進めず敢え無く断念。いずれにせよ、400年も前のお墓を
探すということは無理な話です。

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驚いたことに、越智姓、河野姓のお墓がありました。その昔、高遠は
瀬戸内水軍と関係があったのでしょうか。
当家の家紋も大三島由来なので興味の尽きないところです。

さて、山墓に別れを告げ、先祖縁者の居があった高遠城三の丸へ。
搦手門前の橋を裏山から渡ったすぐ右がその居所です。
翌日に撮った写真ですが搦手門前の橋です。

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そして居のすぐ先には二の丸へ渡る橋が架かっていたとされています。
当家は元々信州伊那高遠の出自ではないので、ここでの記録はほとんど
無くかろうじて、他の旧家の古文書や高野山の日月牌に名を残すのみです。

居所の跡地は現在、住居が建っており、往時を偲ばせる物はありません。
それでも空堀は依然残っており、ここが城跡であったということが分かります。


(さらに続く)