私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

ウチら

標準語だと思って使っていたら実は方言だったなどということが良くある。
特に私は自分達が標準語を使えると激しく錯覚している地方の出身。
浜言葉、山言葉だと記憶しているもの以外は標準語だろうと思っていた。
 
ところが、先日このブログを読んで頂いた方から、使っている単語が標準語にはないと指摘を受け、調べてみると確かに故郷をはじめとする一部の地域でしか使われていない言葉。
 
東京に住んで早や数十年、いまだに方言が抜けきっていないということに軽い驚きを感じた。
 
私の言葉のアクセントが変だと最初に指摘を受けたのは、外国で日本語講師をしていたとき。生徒に「先生、アクセントが違う」といわれたときだ。
こちらは生粋の日本人、もう数千年も日本に土着している人間。
外人ごときが何をいうかと憤慨したが、冷静になって知人に良く聞いてみると確かにアクセントが変らしい。
 
その知人の教えをもとにすると、変なアクセントにはパターンがあり、それさえ気をつければ大丈夫だということがわかった。
ただ、今でも、そのアクセントは郷愁を呼び起こすことも事実。
昨今のテレビの普及から、故郷でもアクセントが標準化してきているとの事で少し悲しい。
 
それとは逆に故郷の言葉が日本中で使われるようになるのには違和感がある。
「ウチら」という言葉がそうだ。
その単語は自分達を表す言葉として、祖母が普通に使っていたから懐かしくないこともない。
ただ、それが、最近になって突然都会に住む標準語の若い女性の口から発せられたり、書かれたりしているととても困惑する。
 
そもそも、ウチらの「うち」は家に帰るの「うち」ではない。
身内の「うち」のこと、関西の人が使う「ち」と「う」のほうに強勢が来るものと共通している。
どちらかといえば、雅な感じがする言葉。
 
それを、故郷の先祖達は、君等、僕等の等をくっつけてしまってうちら=自分達という言葉を編み出した。
なんとも乱暴だが、方言の坩堝である故郷の人たちには響きが雅かどうかはどうでもよかったのだろう。
 
その後、室蘭製鉄所の社員が多量に千葉の君津付近に移住し、コミュニティーを形成していった。あるときから不思議なことにそのコミュニティーの言葉が君津ではデファクトスタンダードとなり、千葉、茨城を凌駕し、そのうち日本中で使われることになったのだろう。
 
バンドエイドの事を日本中で「サビオ」と呼ぶ時代が来るのかもしれない。