私も日本も再生が不可欠だ

日々の雑感です。興味を惹かれたこと、やるせない思い、昔話など思いついたままに綴ります。

冬の底に想う

 
 
 
例年に無く寒い日が続いています。
東京も冬日が続き、今が底なのだなと実感します。
それでも隅田川は凍らず、江戸の昔と比べると過ごし易くなったのでしょう。
 
冬の底というと思い出すのが忠臣蔵
旧暦では12月15日の未明。新暦では1月31日。
本当に寒い中討ち入ったのですね。
当日は降雪があったとか。今年も1月26日に都心で雪が降りました。
よく、刀を持つ手が凍えなかったものです。
 
テレビドラマなどで有名でしたから小さな頃から目にする機会の多かった討ち入り。
疑問だったのは、なぜ吉良邸の絵図が必要だったのかと言う事。
 
つい最近までこの事が心にわだかまっていましたが、ひょうんなことから調べてみて疑問が解けました。
吉良邸は私が想像していたより遥かに大きかったのです。
 
下の写真の網掛け部分がすべて吉良邸。
江戸東京博物館の敷地と比べても分かりますがかなりの広さ。
 
周囲約800メートル。歩いて一廻りすると10分~15分くらい掛かります。
 
イメージ 1
 
上の古い地図では赤で囲ったところが本所松坂町の吉良屋敷。
尤も、松坂町となったのは、屋敷が取り壊されて町人が住んでも良い事になった後ではありますが。
 
討ち入りの後、休憩を申し入れて断られた回向院もすぐ隣。
拡大すると、現代では雑居ビルや住宅がひしめいており、確かに敷地内の絵図が無ければどこが寝所か分からないのも頷けます。
 
 
家来やその家族、雇った浪人たちなど、総勢数百名が住んでいるのだから広いのは当たり前なのでしょうが、テレビの演出で吉良邸の描写を矮小にしか取り扱っていなかったのが頭が混乱した原因です。
 
テレビをはじめマスメディアは便利ではありますが、それからだけの知識では決して十分といえないのを改めて考えさせられた忠臣蔵でした。